元SMAPマネージャーの飯島三智(いいじまみち)女史は、解散騒動で事務所を追われるように退社となりました。
結果芸能関係者ではなくなったので、各メディアは配慮してI氏やIマネージャーという表現を多用しています。
メンバーから全幅の信頼を置かれていた飯島三智ゆえ、去りし後のSMAPの仕事のスケジューリングはさぞや難航していると容易に想像できますが、実際その通りだという事がわかるエピソードが8月17日発売の「週刊文春2016年8月25日号」の記事中にて語られました。
誰もSMAPを掌握できない
同号でジャニーズ事務所の幹部がこのように語りました。
1月の解散騒動を乗り越えた後は、元通りに活動してくれる事だと信じていました。
ところが蓋を開けてみると5人揃ってミーティングする事さえままならない。
飯島さんがどうやってメンバーとコミュニケーションをとっていたのか、恥ずかしながらスタッフや事務所役員にも分からなかった。
事務所もSMAPメンバーも、いかに飯島三智を信頼し、そして依存していたという事が伺えるというものです。
そして飯島マネージャーが去った後にSMAPメンバーとコミュニケーションを取る事を率先して行っていたのは、副社長の藤島ジュリー景子です。
あの飯島氏の後を継いで、ゴタゴタ状態のSMAPを管理できるのはジュリー氏クラスの者でなければ無理でしょうから、これは至極当然といえましょう。
しかし前述の幹部がこう語りました。
ジュリーはメンバーとこまめに会って今後の仕事やビジョンについて話し合っていました。
25周年ツアーイベントの開催にも積極的で、会場もおさえていました。しかしいざ話を進めようとすると、メンバーの誰も
「分かりました」
と言わない。一体どうなっているのかと社内で問題となったのです。
このように、副社長のジュリー氏でもメンバーを掌握できず、結局25周年ツアーの開催は消えてしまったのです。
いえ25周年ツアーどころか歌番組でSMAPが歌うことすら全くない状態です。
違約金800万円をはじめ、年間200億円の損失
「週刊新潮2016年8月25日秋風月増大号」によると、ドーム球場を25周年ツアーの会場としておさえていたのです。
そしてそのドーム球場をキャンセルしたことによる違約金が、1日800万円くらいとの事です。
そしてSMAP解散によるジャニーズ事務所の年間遺失利益は200億円にものぼるのです。
この事については当サイト記事
SMAP解散でジャニーズ事務所は年間200億円の売り上げを捨てる大打撃となった
をご覧くださいませ。
「オーナーが絶対的」という、特に同族企業にありがちな考えによって飯島三智氏を失った結果、これだけの騒動と損失を引き起こす事になったのです。
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