2016年12月31日をもって解散が決定したSMAPですが、その原因については諸説入り乱れています。
しかし「週刊文春2016年8月25日号」で、その大元となった決定的な理由が報じられました。
この号の発売日の前日である8月16日に
僕達は15年前にもう壊れていた
と文春webで発表された事が記憶にある方も多いかと思います。
そして同号を購入して全文を読んだ結果、2000年に木村拓哉と工藤静香が結婚する事に最初は反対していたメリー喜多川が、最終的には工藤の熱意に引き付けられて認めてしまった事が、今回解散への道となった原因という事が判明したのです。
15年前の2000年から関係は崩壊していた
今年5月くらいから、ジャニーズ社顧問・小杉理宇造(こすぎりゅうぞう)氏がSMAPメンバー間の仲介役となりました。
仲介役がなぜ藤島ジュリー景子でなく小杉理宇造氏という事については、当サイト記事
SMAP中居正広と木村拓哉の間に確執や不仲がない根拠はグループの存続を希望してた事
をご覧くださいませ。
小杉氏は各メンバーと個別に何度も面談を行ったのですが、木村拓哉と中居正広を除く3人は
「5人ではやりたくない」
という意見でした。
草彅剛の発言を例にとると
解散はしたくない。
5人でやりたくないというより「やれない」んです。
と、のらりくらりとした禅問答のような対応だったのです。
その状況を飲み込めずにいた小杉氏に対し、香取慎吾と草なぎ剛は
昨日今日始まったことではないんです。
僕達は15年も前にもう壊れていたんです。
でもそこから10年やり続けた。
それを理解してください。
と突き放すように言い放ったのでした。
15年前に壊れていたとは結婚の事
その発言を小杉氏は理解できないでいたのですが15年前といえば西暦2000年の事でして、その年にSMAPに何があったかというと、人気絶頂だった木村拓哉が周りの反対を押し切って工藤静香と結婚した事以外は考えられないのです。
香取慎吾と草なぎ剛にしてみれば、仮にも顧問なのだからその辺りを理解しておけという事なのでしょうか。
飯島三智マネージャーは当時、ファンを裏切ってはいけないという信念の下、誰よりも結婚に反対して物凄い剣幕で木村に詰め寄ったのです。
そしてそれを知った工藤は、副社長のメリー喜多川の許可を得ようと何度もコンタクトを取り、最初は猛反対していたメリー喜多川もその熱意に負けていつしか家族同然の付き合いが始まったのでした。
結婚を機に仕事よりも家族を優先するようになった木村は、猛反対していた飯島氏はもとより、他のメンバーとの間にもぎこちなさや隔たりが発生するようになったのでした。
これが
「15年前から壊れていた。それでも今までやってきた。」
の言葉の意味だというのが、文春記事から判明したのです。
木村拓哉の結婚が許せなかった事が伺えるエピソード
少なくとも香取慎吾と草彅剛の2人に関しては、木村拓哉の結婚が許せなかったという事が分かりましたが、それを裏付けるエピソードがあります。
「夢がMORI MORI」でお笑いをやったりして各メンバーに強力なキャラ付けが行われた結果、爆発的な人気を得たスマップですが、元メンバーの森且行が何かの番組でスカした行動を取った事がありました。
その時香取慎吾が森の胸倉を掴み
「いつからSMAPはそんな感じになったんだよ」
と詰め寄った時がありました。
これはもちろんギャグですが、当時10代だった香取は既にそういったプロフェッショナルな気概を持っていたのでしょう。
そして草なぎ剛も若い頃はモロにお笑い担当役で、流れる歌に合わせて左右両サイドから突き出し張り手を食らうという、体を張ったお笑いも行っていた記憶があります。
そのようなプロフェッショナルな気持ちで仕事に望んでいたのに、そんな事はお構いなしに結婚した木村拓哉が許せなかったのでしょう。
しかもよりによって若い頃に大ファンだった工藤静香を結婚相手に選ぶというミーハー的な事も、さらに確執のプラス要因になったのかもしれません。
実際結婚した事によってキムタクは一時的とはいえファンが激減し、ひいてはSMAP自体にも影響を及ぼしたのです。
30代の若さでの結婚は、事務所からもそしてメンバーからも許してもらえないという事なのでしょう。
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