脳リンパ種で亡くなった松方弘樹(まつかたひろき)さんと事実婚状態だった山本万里子(やまもとまりこ)さんとの間には子供はいません。
松方弘樹がパイプカットを行ったという事はそれなりに有名ですので、子供を作りたくでも出来なかったと思われるかもしれませんが、そうではないのです。
両者の不倫問題が世間を賑わせた1998年のインタビューで山本万里子さんは
「子供がいたらいいと感じた事は1度あった。」
と答えており、決して欲しいという思いがその後ずっと継続していたわけではないのです。
インタビューにて心情を告白する
松方弘樹さんと山本万里子さんの不倫問題が明るみになった経緯については、当サイト記事
松方弘樹は山本万里子と再婚せずとも責任を取った人生を貫いた
をご覧ください。
両者の真摯な決意を感じる事ができて、周りはともかくこの2人は幸せだったというのが分かります。
その1ヶ月後の1998年12月に、山本さんはフジテレビの独占インタビューに応じました。
(松方とは)どういう関係になってもずっと尊敬し続けると思います。
また別れるかもしれませんし、どういう関係になるかは全く分かりません。奪ってまでこの人と結婚したいという思いは1回も無かった。
と、その後仁科亜季子と離婚した松方さんが山本さんと再婚しなかった事については、山本さん本人の意思も多少関係していたのではないかという事が垣間見えるのです。
子供がたいたらいいのにな
ただし
子供がいたらいいのにな、と少し前にそういう感情が沸いた事が一度あった。
との事で、一時的な感情とはいえ子供が欲しいという思いが沸きあがったと語ったのです。
その言い方から勝手に推測するに、一時的な気分の高まりで子供が欲しいと思っただけで、平常時は決してそのように思っていなかったという事でしょう。
前述したように松方さんを尊敬の対象として見ている部分があり、子供を残すという事とは切り離して考えていたのかもしれません。
相手家族への後ろめたい気持ちも
このように松方弘樹への思いを語ってくれた山本万里子さんですが、一方では仁科家への多少の後ろめたさも感じていたのです。
「(松方には)奥さんも家族もいるという事については考えなかった?」
という意地悪くも核心を突いた質問には
実際こういう事が起こって1ヶ月の間、私の家族も耐えてくれて…。
こういうご家族のある方と、こういう関係でいる事の罪深さというか、本当に申し訳ない事をしました。
と、騒動騒ぎを1ヶ月もの間耐えてくれた自分の家族があるのと同様に、相手にも同じように家族がいる事を尊重して、そういった家族に対して迷惑をかけてしまった事を謝罪したのです。
仁科亜季子には別の勘定も
ここで申し訳ないと思った相手家族には、仁科亜季子も含まれています。
ただ、仁科亜季子に対しては別の感情もあったのでした。
このインタビューの時点では、仁科亜季子が松方弘樹と離婚を決意したという事が報じられていました。
「松方と山本の不倫が、離婚の一番の原因と言われている」という問いに対しては
ご夫婦のことなので、その中で何かがあったのが、理由の一つだとは思います。
と、自分が100%の原因ではない、仁科亜季子は自分の事を棚に上げていると、既に夫婦関係に変化が起きていた事を暗に示唆したのです。
実はこの騒動の7年前の1991年に、38歳だった仁科亜季子は子宮頸がんの手術をし、それ以降松方さんから女として見られずに夫婦関係は冷え切っていたとの話もあり、そういった事も離婚の原因だという事なのでしょうか。
インタビューでは話せる範囲でできるだけの事を山本万里子さんは話してくれました。
子供はいなくても こちらの画像 のように、昭和の大スター松方弘樹を最後まで支え続けたのです。
[my_include file=’_matsukata’]