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【光GENJI通達】厚生労働省に20時以降も生出演を認めさせた恐るべきパワー

厚生労働省が定める労働基準法では義務教育中の者に対して、20時 ~ 午前5時までの夜間から早朝までの時間帯に労働させる事を禁じています。
もちろんテレビ番組といえど例外は通用せず、ザ・ベストテン等の視聴者からのリクエストで順位が決まる歌番組で
「労働基準法のために出る事ができません」
と、出演ができなかった事が思い出されます。

当時絶大な人気を誇った光GENJIでも、義務教育終了前のメンバーが2人いたため、20時以降の生放送では5人での出演回が多々ありました。
しかし業界関係者から今でも「光GENJI通達」と言われている通達が1988年に出て、20時以降も出演できるようになったのです。

光GENJI通達が出来上がるまでの経緯が2016年9月6日放送の「中居正広のミになる図書館」で佐藤アツヒロから語られ、労働省まで動かした光GENJIの人気ぶりを改めて思い知らされたのでした。

光GENJI通達が出た経緯

1987年8月19日に7人のメンバーで結成された光GENJIは瞬く間に人気となりました。
しかし佐藤アツヒロともう1人のメンバーの合計2人は当時まだ中学2年生だったので、20時以降の生番組へは出演ができなかったのです。

中学生の2人が出演できない時間帯は、7人ではなく5人での出演となり、そのために振り付けを変更したりもしました。
翌年1988年も2人はまだ中学3年生なので、5人での出演が続いたのです。

当然テレビ局やジャニーズ事務所に
「何であの2人を出させない」
と苦情が殺到したのです。

そんな中、同年1988年に労働省から次のような通達があったのです。

その人の提供する歌唱、演技等が基本的に他人によって代替できず、芸術性、人気等当人の個性が重要な要素となっていれば、午後8時以降でも働くことは認める

この通達によって、中学3年生だった佐藤達も20時以降に出演する事が可能となったのです。
これが今でも語り継がれる光GENJI通達の内容です。

イケメンゆえにメンバー内でも絶大な人気を誇った佐藤アツヒロの代わりは誰にもできません。
佐藤が出ないならその番組を見ないという視聴者もいたかもしれず、グループの人気にも影響が出る事でしょう。

まさに佐藤アツヒロに寄せて作られたような法律です。

この通達が出された理由として、番組内で中居正広が
「労働省にも苦情が来たのではないでしょうか」
と考察しています。

20時以降に出られなかったもう一人とは

前述したように佐藤アツヒロは
「俺と『もう一人』が出られなかった」
という言い方をしました。

そのもう一人とは、赤坂晃の事です。
佐藤と赤坂は同学年です。
2007年に不祥事を起こした赤坂ゆえに、そのようなオブラートに包んだ言い方をしたのでしょう。

木村拓哉と木村拓哉が2人の代役を務めた

佐藤アツヒロと赤坂晃がまだ中学3年生で20時以降に生出演できなかった頃、木村拓哉と中居正広がその2人の代役として「Diamondハリケーンを」を披露した事があったと、佐藤から語られました。
木村と中居は1学年上の高校1年生だったので、20時以降に出る事が出来たのです。

労働基準法のおかげで、貴重な7人の出演という副産物を得る事も出来たという事です。
なにはともあれ、お堅い厚生労働省まで動かした光GENJIの人気は凄まじいものがありました。

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