ダウン症の子供を持つ芸能人のひとりが、美人シンガーとして活躍した水越けいこ(みずこしけいこ)さんです。
2017年2月24日放送のテレビ番組「爆報!THEフライデー」にて、自身のダウン症の息子さんがが就職活動をする様子が紹介されました。
自立のために歯科医院で働いたり就職活動を行ったりする様子は、ダウン症の子育てに悩む方に希望を届けるものでした。
中でもダウン症でありながらIT企業に勤務し、運転免許も取得、分刻みのスケジュールをこなす「ダウン症の星」と言われる男性からのアドバイスは値千金だったのです。
水越けいこプロフィール
1954年2月4日生まれで現在63歳の水越けいこさんは、20代前半の頃は情報番組「8時の空」で毎朝歌声を茶の間に届け、そして1979年発売の「ほほにキスして」が大ヒットし、芸能人として順調なキャリアを重ねてきました。
ところが1993年に突如芸能界を休止し、表舞台から姿を消したのです。
2013年放送の「爆報!フライデー」出演時の内容
この日の放送以前にも、水越けいこと息子さんは爆報フライデーで紹介されていたのです。
それは2013年の放送でした。
現在もミュージシャンとして活動している水越けいこは、駅から少し離れた2DKのマンションでダウン症の息子・麗良(れいら)さん(2013年当時21歳)と2人で暮らしているのです。
ダウン症候群は知的障害を伴う事が多く、精神年齢は小学生程度とも言われているのです。
麗良さんの場合は、簡単な計算や自分の名前を書いたりすることはできるのですが、料理や買い物は1人で出来ないという状態でした。
それゆえ親元を離れて自活する事はできないのでした。
水越けいこは1986年にバックバンドの男性と結婚し、38歳だった1992年に男の子を出産しますが、生後間もなくダウン症と診断されました。
それでも息子と向き合って育てようと心を決めたのです。
しかしその後、子育てを巡り旦那様との言い争いが絶えず、麗良さんが4歳の時に夫は置手紙を残して去ったのでした。
これがシングルマザーとなった経緯だったのです。
その後は歌手時代の貯金を崩したり貴金属を売却したりして生活費に充てて17年間懸命に子育てをし、できなかった事ができるようになった息子の姿に喜びを感じながら生活してきたのです。
そして麗良さんが21歳になった時に、企業への就職という新たな目標ができました。
そのために麗良さんが通っているのが「中野区障害者福祉事業団」という施設だったのです。
そこで就職のために必要な技術を週5日学び、そして歯科医院での清掃実習1時間を週3日行い、就職という夢に向かって一歩一歩努力していたのでした。
これが2013年の放送で紹介された内容です。
4年近く就職できなかった理由
それから4年近く経ち、再度爆報フライデーが水越親子の様子を取材したのが、冒頭で述べた2017年2月24日放送の番組内容でした。
麗良さんは24歳になっていたのです。
4年近くの就職活動の成果を尋ねられた水越さんからは
「いくつかトライはさせていただいて、2週間くらい研修に行ったりしたんですけど…。」
と歯切れの悪い回答がありました。
就活の一例として昨年2016年11月に、ラッピング用のリボンを作る仕事を紹介してもらったのです。
条件は週5日勤務で通勤もラッシュ時間帯を避ける時間帯での出社でいいよという、会社側の温かい配慮があったのです。
ちなみに給与は8万円で、別途賞与もあるのでした。
このように理想的な条件だったのですが、結果は不採用になったのです。
不採用の理由は、麗良さんが大勢の人がいる環境にとまどったというか気弱なイメージにとられたという事で「もう少し図太くならないと」会社側に言われたそうです。
このように精神面の弱さが麗良さんのネックで、きつい言い方をされると固まったりしてしまうのでした。
こうして麗良さんは就職のチャンスを逃してしまったのです。
実は施設からの就職の紹介は年にたった2~3回しかなく、その少ないチャンスのために日々努力はしている麗良さんですが、何年経っても働き先が見つからないという厳しい現実に直面しているのでした。
ダウン症の星に会う
このように苦境に立たされている水越けいこさんには、今どうしても会いたい人がいて、東京都内のある家を訪ねました。
その人物とは父・俊秀さんと一緒に暮らす、ダウン症の安部健太(あべけんた)さん(29)でした。
ドアを開けると、しっかりとした口調で「安部健太です」と自己紹介を行い、見事な手前で名刺を水越に渡したのです。
この健太さんは、多くのメディアで「ダウン症の星」と取り上げられているスーパーマンです。
現在健太さんは、従業員300人を超える東京都品川区のIT企業「株式会社クレオソリューション」の事業統括本部の総務グループで働いています。
健太さんは20歳だった2008年に、麗良さんと同じ就労支援施設に入所し、23歳になった2010年に現在の会社に採用され、もう入社8年目を迎える中堅ポジションにまでなっていたのです。
その他にもAT限定ながら普通自動車の運転免許証も所有しているのでした。
安部健太さんの仕事ぶり
そんな安部さんは健常者と全く同じ仕事ぶりをしている事が紹介されました。
朝8時25分に最寄り駅の奥沢駅から電車に乗り、会社の最寄り駅である青物横丁駅に到着します。
そこから徒歩で会社へと向かうという、片道1時間の通勤をしているのでした。
会社では自分の席に着くなり、隣の方にきっちりと「おはようございます」と挨拶を行い、見事な手さばきでキーボードをたたき、データ入力を行っています。
「どこかで習ったの?」というスタッフからの質問には「中学の頃からパソコンをしていました」との事です。
さらに書類作成や部屋の温度・湿度管理といった仕事を細やかな気配りをもってこなします。
そして忙しい上司を気遣い、上司のお弁当の購入を自ら率先して行う等、高い対人コミュニケーション能力を発揮しているのでした。
このように健常者と同じような仕事ができる秘密は、健太さんの家族が実践してきた教育方法があったのでした。
ダウン症に非常に効果的な子育て2箇条を父親の俊秀さんが語る
父・俊秀さんと会った水越けいこは、次の2つの効果的な子育て方法を教わったのでした。
1. 対面刺激法
とにかく色々な所に連れて行く事。
仕事絡みでも大丈夫そうなお客さんの所だったら連れて行って皆に紹介して、皆から刺激を頂いていた。
と、あえて顔見知りでない人にも積極的に会わせ、刺激となる経験をさせてきたのです。
この行動について、専門家でいらっしゃる菅野敦教授は
知的障害があるから、保護者の方はずっと見てあげたい気持ちは分かるのですが、第3者との間で様々な価値観や大事な事を学んで、少しずつ社会と関わりを持たせていくという事は、基本的に大事な事だと思います。
とコメントしました。
このように健太さんは、どこにいても物怖じせず、誰とでもコミュニケーションが取れるようになったのです。
2. 毎日の分刻みのルーティンワーク
決められた行動・動作をする事をルーティンワークと言います。
父・俊秀さんは、健太さんは決まった動きをするのが得意で、自分のルーティンを決めたらそれを外さないと語ります。
具体的には
- 朝7時20分に起床
- 5分後には父子の2人で朝食
- 7時45分には食事を済ませて、髭剃りといった出勤準備にとりかかる
- 7時50分に洗面所で洗顔
- 7時52分に歯磨き
- 8時ジャストには着替え
- 8時10分にワックスを使用して髪の毛をセット
と、分刻みのルーティンワークを10年近くも実践してきたのでした。
このように決まった行動様式を持つ事は、スポーツの世界では「アティテュード・コントロール」と呼ばれ、野球のイチロー選手やラグビーの五郎丸歩選手が実践しているのは有名です。
効果としては、決まった行動によって脳へのストレスが軽減し、安定した心理状態になるのです。
健太さんが麗良さんに就職アドバイス
そしていよいよ安部健太さんと麗良さんが対面しました。
「安部健太です。よろしくお願いします」と、先輩健太さんが会話をリードします。
会話も弾み、どうしても麗良さんが聞きたかった質問をぶつけました。
「注意されても気持ちは折れないものですか?」
と、心の弱さがウィークポイントの麗良さんならではの悩みをぶつけたのです。
健太さんの答えは
たまに凡ミスもあって、注意はされる。
そういう時は前向きな気持ちでいる。
とポジティブなものでした。
実は健太さんも就職活動でつまづいた過去があり、合計11社で不採用となっていのでした。
「就職が決まらなかった時はどう思いました?」とのスタッフの問いには
(落とした会社は)俺の事が全然分かっていない。
と、会社に見る目がなかっただけど、ポジティブに考えるようにしていたのでした。
最後に
慎重にゆっくり楽しく頑張れば良いと思う。
という、29歳の大人ならではのアドバイスを送り、体面は終了したのです。
水越けいこにも変化が
車の運転免許証の学科試験も55回目でようやく合格したという不屈の精神を持つ安部健太さんと対面した水越けいこには、その後変化が見られました。
自身のライブ会場に息子麗良さんを連れて行き、誰とでも馴染めるように訓練を始めたのです。
芸能人や有名人が率先してこういった行動を起こせば、それが拡散される可能性も十分にあります。
そして麗良さん本人にも変化が。
就職して給料をもらったら母にお花を買ったり、母を守れれば良いと思います。
と、あの気の弱さはどこへやら、見事は誓いを述べたのでした。
母・水越けいこも思わず涙ぐむのでした。
今回父・俊秀さんからの子育てアドバイス2個と、安部健太さんからの貴重なアドバイス1個は、ダウン症の子育てに悩む親御さんには希望となった事でしょう。
「母を守る」という嬉しい言葉をかけてくる日も来るかもしれません。