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吉澤ひとみの激やせ・激太り理由は弟の事故死と知ったなら誰が責める事ができようか

2000年春の「モーニング娘。第3回追加オーディション」でモームスメンバーとなった吉澤ひとみ(よしざわひとみ)さん。
当時は中3になったばかりで凄く可愛く、一躍人気メンバーとなったものです。

ところが2002年頃から激太り現象が発生しました。

太ってても顔は可愛い子は沢山います。
ところが吉澤ひとみの場合は、お顔にも変化が表れるタイプだったのです。

その後はきっちりと痩せたのですが、溺愛する弟さんが事故死という最悪の事態を体験した結果、激太りと激やせを繰り返すようになったのです。

2002年のセクシー8の頃には激太りで全然セクシーじゃない

ハロー!プロジェクトが行っていたシャッフルユニットという形態での活動で、2002年夏に合計8人のハロプロメンバーで
「セクシー8」というユニットが構成されました。

そのセクシー8で「幸せですか?」という楽曲を歌っていた時には、激太りだった記憶があります。
失礼ながら全くもってセクシーではありませんでした。

この激太りの理由は言わずもがな。
モー娘。内での権力争いというのは熾烈を極め、ストレスが生半可でない事は簡単に想像できます。

1999年の後藤真希の加入によって、それまでダントツ1番の待遇だった安倍なつみがその座を脅かされ、2000年春には激太りしていたのは有名です。
ムチムチし過ぎていた太ももは、映画「ピンチランナー」での映像で今後も残っていくでしょう。

吉澤ひとみも相当のストレスだったのでしょう。
相当の過食状態だったのです。

加えて大のお酒好きで、日頃から大量に飲んでいたのです。
というか中3なのにアルコールを飲んでいた事になりますね…

それらが原因で激太りしたのです。

今後は激やせ

ただし、その激太り状態ではファンが離れていくという危機感を感じたのでしょう。
ダイエットで痩せる事に成功します。

ところが今度は痩せ過ぎになるのです。
2006年の頃には体重40kg程にまで激やせしたのです。

おそらく激太りによってファンが離れたり叩かれたりといったトラウマがあったのでしょう。
それに加えて2005年4月14日に矢口真里が脱退した事によって、急遽リーダーになったのです。
リーダーになれば責任を感じる事でしょうから、スタイルに気を使うはず。
でも今度は痩せ過ぎたのです。

最愛の弟さんが自転車乗車中に事故死

リーダーとなった吉澤は、2007年1月2日にモーニング娘。の卒業を発表します。
ところがそのわずか9日後の11日に、5歳年下の最愛の弟さんが事故死します。
新宿区の神楽坂交差点を自転車で走行中に、普通車にはねられて亡くなってしまったのです。

21歳だった吉澤からすれば、16歳の青春真っ只中の弟さんは可愛くてしょうがなかった事でしょう。
そんな弟さんが病死ならまだしも、不幸な事故死をとげたとなると、相当ショックだったはずです。
事務所スタッフでさえまともに会話する事ができないほど泣き崩れていたのです。

このショックにより精神的に不安定となり、過食や拒食を繰り返し、激太りや激やせを繰り返すようになったと言われています。

弟さんの事故死の影響は多少なりともあるでしょう

時系列からして弟さんを亡くす前に激太りと激やせをしています。
それらからして、弟さんの事故死と激太り激やせの因果関係は無い様に思われます。

ただ、2002年に最初に激太りした後はプロ意識を持ってキチンと痩せました。
おそらく本人としては、その痩せた状態をキープする意識があったはずです。

ところが弟さんが亡くなった事によって、その意識が崩れてしまった可能性が考えられます。

万が一、弟さんとの因果関係がなかったとしても、弟さんの件で精神的に不安定となって激太りになったという事にして差し上げましょう。

なにせそんな辛い思いをする人って、ほとんどいないわけですから。

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