エンタメ

立見里歌は息子が慶應進学直前に離婚を明かした結果、優等生として育ってくれた

1985~1987年に一世を風靡したおニャン子クラブ。
女子高生メンバーが多くを占める中、女子大生として少しお姉さんのポジションを担っていたのが立見里歌(たつみりか)さんでした。

おバカキャラとして通っていましたが、お顔はセクシーだし体は細いのに胸は大きめだったりと、色っぽいお姉さんだったと思います。

1965年11月14日生まれの立見里歌さんは、東海大学4年生だった1987年4月5日をもっておニャン子クラブを卒業しました。
まさに今でいう、AKBを卒業みたいな感じです。
就職活動のためにおニャン子クラブを卒業したと考えるのが妥当でしょう。

その後紆余曲折色々あったでしょうが、男の子を1人もうけた後に離婚となりました。
驚くことに、離婚した事をずっと息子には黙っていたのです。

離婚した事を打ち明けたのは、何と息子が高校生になってからなのでした。
そして息子さんは慶應義塾大学へと進学したのです。

おニャン子クラブ卒業から就職、離婚、息子の慶應義塾入学という経緯について順番に迫ってみましょう。

おニャン子クラブ卒業後、ポニーキャニオンへ就職

立見里歌は、おニャン子クラブを卒業し、ポニーキャニオンへと就職しました。

ポニーキャニオンはおニャン子クラブのレコードの発売元という事で充分コネがあるし、何より当時はバブル全盛期ですので大企業への就職も容易だったのです。
もちろん後述する様に、立見さんが優秀だったというのもありますし。

ポニーキャニオンでは営業職につきました。
入社1年目の営業成績は、全社員700人中、何と3位という優れた業績をたたき出しています。
1990年発売の田原俊彦のシングル「ジャングルJungle」等の販売も手がけてらっしゃったそうです。

青年実業家と結婚から離婚

ポニーキャニオンでは4年間営業をされていましたが、25歳の時に4歳年上の青年実業家とできちゃった結婚となり、寿退社します。
ただこれは間違いだと思います。
1988年入社で4年間勤められたのですから、おそらく1992年の26歳の時に結婚されたのだと思います。

その後6年間専業主婦をしていましたが離婚。
6歳の息子を持つシングルマザーとなり、生活のために32歳で再就職。
おそらく1998年に再就職されたのでしょう。

就職先は広告代理店です。
その広告代理店はどこかというと、ネット上では電通だと言われています。

もし本当に電通だとしたら、おそらくおニャン子クラブ時代のコネか何かがあって就職できたのだと邪推してしまいます。
何せ6年間もブランクがある32歳ですから。

敏腕キャリアウーマンとして高い評価を受けて働く姿は、FLASH2007年1月5日特別号にも掲載されていました。

離婚した事を息子に10年間隠し続けた決意が凄い

離婚した時に息子さんは6歳です。
そしてその後離婚した事をずっと隠し続けたのです。

それには固い決意があったのです。
それは「再婚はしない」という事です。
今後10年間は自分の事よりも息子を育てる事を最優先するという固い決意をしたのです。

確かに再婚という行為には、我が身可愛いさという気持ちがあると思います。
そうではなく、息子のために全てを捧げる。
そのためには再婚はしない。
ゆえに「離婚はしていない」と言い続けたのです。

父親が家に居ない理由は
「パパは仕事で忙しいから一緒にいられない」
と言い続けました。

旦那と離婚している事を息子が通う学校へバレない様に、離婚後も息子は元夫の姓を名乗りました。
おそらく立見さん自身も元夫の姓を名乗っていたと思われます。

さらに周りに怪しまれない様に、運動会やイベントの時だけは、元旦那に来てもらってたのです。
本当は会いたくないでしょうが、息子のために頑張ったのでしょう。

そして息子が高校生に成長した時に、離婚を打ち明けました。
6歳で離婚したわけですから、ちょうど10年が経過した頃です。

優等生として育つ

本来高校生の男の子というのは、親に対して反抗する時期でしょう。

でも女手ひとつで必死で頑張ってきた母親を見てきて息子さんは、素直な優等生としての高校生活を送りました。

その結果、慶應義塾大学へと入学したのです。
もちろんこれには息子さん本人が優秀だったという事もあるでしょう。

現在はパートナーがいらっしゃる

立見里歌さんも現在は50歳をむかえました。
そして嬉しい事に、現在はパートナーがいらっしゃるそうです。

息子のためだけを思い再婚をしないと決意し、そしてそれを貫き通した。
その息子さんも慶應義塾大学を卒業し、現在24歳。
母親を安心させるためもあり、おそらく一流企業へ就職したことでしょう。

もう母親としての役目は十分終えましたといってよいでしょう。
これからはご自身のために幸せな生活を送っていただけたらと思います。

PAGE TOP