乙武洋匡(おとたけひろただ)さんの嫁さんの年齢は、結婚時の報道では2歳年下でした。
しかし「早稲田大学の1年後輩の仁美さん」という紹介文句が必ずといってよいほど付きます。
おそらく結婚した段階ではまだ嫁さんが誕生日を迎えていなかったので、その様なズレが生じているのだろうと思っていました。
しかし乙武洋匡さんのツイッターから嫁さんの誕生日が判明し、結婚時には誕生日を迎えていた事が分かりました。
この事から、年齢が2歳年下ではなく「2学年年下」なのは間違いないのです。
なのに1年後輩というのは腑に落ちませんでした。
報道を行う者のはしくれとして、正確な情報が求められますので、嫁さんの年齢について詳しく検証してみました。
結婚時の年齢は24歳と22歳
2人は2001年3月25日に結婚しました。
1976年4月6日生まれの旦那さんは、間違いなく24歳でした。
そしてその時点での仁美さんの年齢が22歳というのも、間違いありません。
それなのに「1学年年下」という事は、仁美さんの誕生日が3月26日~4月1日なのだろうと想像したのです。
確率的には非常に低いですけどね。
乙武洋匡さんのツイッターで嫁さんの誕生日が判明
乙武洋匡氏が2016年2月13日にツイッターで
妻の誕生日。早いもので、彼女の人生のなかで、私と出会ってからの年月のほうが長くなりました。そのことを本人に伝えたら、苦笑いしていました…。大事なことなので、もう一度言います。苦笑いしていました。
あらためて、お誕生日おめでとう!!
— 乙武 洋匡 (@h_ototake) 2016年2月13日
とツイートしています。
上記ツイート日が2月12日に見える場合は、ツイッターにログインし、設定からタイムゾーンを日本にすれば、2月13日に見えます。
このツイートから嫁さんの誕生日は2月13日と判明しました。
なので結婚時には誕生日を過ぎていたのです。
という事は間違いなく2学年年下です。
乙武さんは浪人していた
この現象は、実はなんてことない理由でした。
乙武さんは、早稲田大学政治経済学部への入学に際し、1浪しているのです。
なので嫁さんが2学年年下なのに1年後輩だったわけです。
冷静に考えればすぐ分かったのでしょうが、私は浪人した事がないので思いつきませんでした。
そもそも大学に入学すらしていないのですが…。
いくら優秀な乙武さんとはいえ、参考書をめくるのも不自由でしょうから、浪人したのは致し方ないでしょう。
大学卒業日が結婚記念日だった
2人は2001年3月25日に結婚したのですが、その日は仁美さんが早稲田大学を卒業した日だったのです。
随分と結婚を急いだ理由は、交際3年半が経過した頃、乙武さんの父親が肝臓ガンで余命いくばくもない状態になったためでした。
父は入籍して1ヶ月半後に逝ってしまわれましたが、息子さんの晴れ姿を見る事ができて満足だったのではないでしょうか。
2人が出会ったのは、乙武さんが大学2年生で21歳、仁美さんが大学1年で18歳の時です。
「交際3年半が経過した頃にお父さんが余命宣告をされた」という事から、多分1997年度の春から夏ごろに出会い交際開始となったのでしょう。
大ベストセラー「五体不満足」が発売されたのが1998年秋ですので、それよりも1年以上も前の事です。
決して有名になったから付き合いだしたのではないというのが、仁美さんの素晴らしいとろこだと思います。
素晴らしい伴侶を手に入れた
「週刊文春2016年4月7日号」の記事によると、急遽結婚する事になった乙武さんは仁美さんに
僕はトイレに行っても自分で何もできないから君に拭いてもらう事になるけどいいの?
と聞くと
私犬を飼った事があるから大丈夫
と快諾したとの事です。
乙武さんは2011年にツイッターで
ピクニックなう。バッグから「とんがりコーン」を取り出した妻。長男に向かって、「これは、お父さんにはできない食べ方よ」と五本指に装着。く、くやしい…(笑)
http://twitpic.com/5uy8ki— 乙武 洋匡 (@h_ototake) 2011年7月24日
とツイートした事がありました。
仁美さんがピクニックでトンガリコーンを5本の指に装着し、長男に向かって
「これは、お父さんにはできない食べ方よ」
とやった事に対してのツイートです。
その画像は こちら です。
2人がいかに信頼し合っている関係なのがよく分かります。
本当に素晴らしい人間性の伴侶を得る事が出来たのです。
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