先天性四肢切断という障がいを持って生まれながら、様々なシーンで常人より成果を出している乙武洋匡(おとたけひろただ)さん。
「五体不満足」で脚光を浴びた後の活動は分かりますが、生い立ちや小さい頃はどういう性格の子だったのかというのはあまり知られていません。
ただ意外にも、今の爽やか好青年のイメージとはかけ離れた幼少期を過ごしていたのでした。
幼稚園では女子を従えて色々とお世話をさせていて、その様子を見た男子からは「キング」とよばれていたのです。
そして砂場で色々な建物等を作るのは幼稚園児ならではの遊びだと思いますが、気に入らないと壊させるという行動は、まさに暴君と呼ぶにふさわしかったのです。
そんな意外な生い立ちだったのです。
生まれは東京都江戸川区葛西
乙武洋匡さんのプロフィールでは東京都新宿区出身となっていますが、ご本人の口から語られた映像を見るに、東京都江戸川区葛西が出身地及び育った所です。
葛西には4歳まで住んでいました。
そして幼稚園に入園するにおいて、先天性四肢切断ゆえに受け入れてくれる所が見つかりませんでした。
何か問題があった時の事を考えて、幼稚園側も及び腰になっていたのです。
そんな中、母親の友人の娘さんが通っている幼稚園が世田谷区にあり、そこは園長先生が理解のある方で、受け入れてくれる事になったのです。
江戸川区から世田谷区まで通うのは大変なので、幼稚園の年少に上がる時期、つまり4歳の時に世田谷区用賀に引越しました。
ところがその幼稚園で暴君とも言えるキングになろうとは思いもよらなかったのです。
幼稚園で女子達に命令するキング乙武
その頃の乙武洋匡さんを知る人は
「彼はキングだった」
と語ります。
彼はとても可愛らしく、女子達から1番人気だったのです。
車椅子の上から女子達に、やって欲しい事を頼むのですが、女子達はかいがいしく従ってくれました。その様を見た男子達は、乙武さんの事を「キング」と呼んでいたのです。
その頃から、他人が自分のために動くのは当たり前と思っていたのかもしれません。
現在もイケメンの乙武洋匡さんゆえに、幼少期の可愛らしさは簡単に想像できます。
その当時女子達から人気があったというのは、今のモテぶりからも想像できます。
女子達が自ら彼のために何かをしてあげてたのなら、何も問題はないでしょう。
砂場で作ったオブジェクトを壊させる
この様に車椅子に乗り、他の子立ちを従えてたお山の大将の乙武さん。
その大将ぶりは、砂場遊びにおいてもいかんなく発揮されていたのです。
幼稚園児の頃は、砂場で色々な物を作るでしょう。
車だったり家だったり。
その時に
「今日は俺はお城を作りたい気分なんだ」
と発言し、それらを全て壊させた後に城を作らせたりしてたのです。
まさに暴君だったのです。
小さい頃から外交的で目立ちたがりだった
先天性四肢切断というハンディキャップを持って生まれましたが、幸いな事に本人の性格は外交的で目立ちたがりでした。
それは今現在の乙武洋匡さんのご活動を見てもよく分かるでしょう。
なので自分の事をジロジロ見られたりしても
今日の俺、目立ってるな
と嬉しかったそうです。
そういう性格でラッキーだったのです。
これが暗くて内向的だと、お母さんも辛かった事でしょう。
女性を口説く方法
とにかくモテる乙武洋匡さんですが、女性を口説くには彼独特の方法があります。
それは自身に対して理解のある女性に対し
補助してくれないか
と言い寄り、まるで介護されるかのごとく距離を縮めるのです。
乙武洋匡さんの幸いなところは、生まれた時点で手足が無かった事。
人間が翼を持って生まれてくるのが当たり前だったとして、翼を持っていない状態の私達は別にこれが当たり前で不便はありません。
そして翼を持っている意中の相手に対し
「かかえて空を飛んでくれない?」
とアプローチをかけるといった感じでしょうか。
宇多田ヒカルの元旦那の紀里谷和明氏が、乙武洋匡さんにインタビューを行った動画がフリーワールドTVの公式チャンネルにありました。
生い立ちについて詳しく語ってくれています。
相変わらずトークが上手く、こういった所も女性からモテるゆえんでしょうね。
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