ホリエモンこと堀江貴文氏が率いていたライブドアは、2004年に近鉄バッファローズ買収計画を発表する事によって急激に注目を浴びだしました。
その頃から当時ライブドアの広報担当であった乙部綾子(おとべあやこ)さんも堀江貴文氏とセットでメディアへの露出が増え、美人広報として有名になりました。
2006年1月にホリエモンが逮捕された事によって、乙部綾子さんは2002年10月から約3年半務めていたライブドアを2ヶ月後の3月17日に退社しました。
そして2016年現在は、芸能事務所ケイダッシュ系列のPRを行う会社である「パールダッシュ」にて広報としてご活躍中です。
ただ堀江貴文氏が逮捕された頃にメディアに対して語った映像から、いかに人生をかけていたかというのが伺えるし、堀江体制でなくなったライブドアに自分の居場所が無くなって退社したというのがよく分かるのです。
ライブドアへ入社した経緯
ライブドアになる前の「オン・ザ・エッジ」時代に、ホリエモンのホームパーティーで堀江氏に直接自分を売り込んだのです。
当時のライブドアは野心家の集まりで、乙部綾子さんはホリエモンの秘書の紹介だったのです。
当時のホリエモンの秘書は元CAで、乙部綾子さんも元CAで、その繋がりで連れてきたのです。
乙部さんは「私はここで働きたい」とゴリゴリに猛アピールしてきたのです。
元々ニーズが無いところへ売り込むという事で、ある意味才能の塊だったのです。
と同時に、新進気鋭の実業家であった堀江氏へ惚れこんでいたのも伺えるというものです。
これらはホリエモンチャンネルの432回で語られました。
ホリエモン逮捕後の騒動で「自分は必要か?」
とにかく堀江氏の下で働きたいという乙部綾子さんだったのですが、ホリエモンは2006年1月に逮捕され、世の中は騒然となりました。
ライブドアの経営陣が刷新される中
確かに今は変わる事は必要ですが、そこに私は必要なのか?
とコメントしまいた。
ライブドアについては
やってたことは幼稚だったかもしれないけど、すごい皆で頑張ってた。
いつまでもサークル気分のような運営でうまくいくわけもないですね。
「幼稚だったサークル気分」とは、野球球団やニッポン放送の買収といった事を指していたのでしょうか。
ブログで退社発表
2006年3月17日が、六本木ヒルズ38階のライブドアオフィスへの最後の出社日でした。
前日の3月16日のブログでは
ここ1ヶ月間、ライブドアにおいて自分がどうあるべきなのか。
この会社で何をしていくべきなのか。
私がやってきたことはどうだったのか。
これから先ライブドアでの存在意義や、今回の騒動の事を一社員としたもっと早く気が付く事ができなかったのかという反省等、大変悩みました。そして悩んだ結果、退社という文字が心に浮かんできたのです。
増え続ける仕事で会社の顔に
広報の仕事というのは取材を受けたりとか、堀江氏が出す書籍の原稿チェックをしたり宣伝活動をしたりというものです。
その様な一広報担当者だった乙部綾子の仕事は会社が世間の注目を浴びるにつれ急増し、本人の意思と関係なくいつしかライブドアの顔となっていったのでした。
- 社内での取材対応
- 電話への応答
- 会見の手伝い
- 株主総会で一般株主へのPR
等など
逮捕時のコメント
2006年1月23日のホリエモンの逮捕により、ライブドアは新社長による体制へと変わり、堀江カラーからの脱却を宣言しました。
1月27日にインタビューを受けた乙部綾子さんは
これだけ世の中を騒がせて迷惑をかけて今まで通りであっていわけはない。
変わる必要性は絶対あるのですけど、今までの良い部分はそのまま引き継がれて悪い部分は直していければいいと思います。ライブドアの良い部分とか頑張ってきた部分が全否定されると悲しいです。
と、ライブドアへの変わらぬ愛着を語りつつも、その中に未熟さゆえの失敗があった事を受け入れるコメントをしたのです。
そして前述した
「やってたことは幼稚だったかもしれないけど、すごい皆で頑張ってた」と発言し、さらに
私の知ってるライブドアはもう無いのかな
と感慨深くおっしゃったのです。
今度ライブドアに残るか?と質問された乙部綾子さんは
夢があった夢を提供できる会社であれば、私は平松社長の新体制を支えたいと思いますし、夢の無いライブドアはもうライブドアではないのかな。
3月16日、退社を発表
3月16日には、USENがライブドアの株式を取得しました。
このように新たに参入するものや、静かに去っていくものが入り乱れる中、乙部さんも前述の様にブログで退社を発表したのです。
ライブドア、いえ堀江貴文の下で3年半も尽くしてきた乙部綾子さん。
ここまで愛社精神のある方はそうそういらっしゃらないと思います。
乙部綾子さんほどの人材を失った事はホリエモンとライブドアには大きな痛手だったことでしょう。