約四半世紀昔に大ブームを巻き起こしたラーメン店、それが「なんでんかんでん」です。
1992年か1993年には、当時の若者のトレンドバイブル的な人気番組「浅草橋ヤング洋品店」でも紹介されました。
東京都世田谷区の環状7号、いわゆる環7沿いにあったその店舗の前には連日駐車車両がずらずらと並び、なんでんかんでん渋滞と言われていました。
そのなんでんかんでんも栄枯盛衰の法則に従い2012年11月5日、正確には翌6日の午前4時をもって、閉店となったのです。
そこまで大ヒットしたなんでんかんでんが閉店となった理由を、名物社長・川原ひろし氏自らが語りました。
東京にはとんこつラーメンがなかった
福岡市博多区で1964年3月13日に生まれた川原ひろし社長は、高校卒業後音大を目指しましたが受験に落ち、歌手を目指して上京します。
その後色々紆余曲折がありました。
そして福岡と違い東京には豚骨ラーメンがなかったことに驚き、1度帰省してとんこつラーメンの修行を行います。
そして再上京し、若干23歳の1987年7月に環7にて「なんでんかんでん」を開店しました。
そのとんこつラーメンのうまさは大ヒットし、3年目には日商100万円を超えるほどの売り上げを上げる様になりました。
豚骨ラーメンの布教活動は終えたかな、と
大ヒットした商品を真似したコンテンツが出現するのは、ビジネスの常です。
その後は東京にもどんどんと豚骨ラーメン店ができました。
そして2000年代前半に入った頃には、ピーク時の約5分の1以下にまでお客さんの数が減少したのです。
もちろんその背景には、ライバル店の出店だけではありません。
ラーメンを深夜に食べに来るお客の中には車で来る若者が大勢いました。
しかしインターネットや携帯という新たなコンテンツの普及により、若者がお金を使う方向が車よりもネットの方へシフトしたというのも原因にあるでしょう。
なんでんかんでんの店舗は、車でないとアクセスが悪い立地にありましたし。
それらの状況をふまえ川原社長は、閉店より随分昔より、なんでんかんでんの閉店を考えていたそうです。
これだけ豚骨ラーメンを東京に広めたので、布教活動は終えたかなと思います
というお言葉を残していらっしゃいます。
もちろんただ閉店するだけではなく、新たな店舗展開を考えた「時代にあった改革」のためです。
これだけのビジネスマンが、ただ単に閉店するはずありませんからね。
マネーの虎の南原社長にディスられた経緯
起業したい人と投資したい人のマッチング企画「マネーの虎」という番組が2001~2004年の間放送されていました。
今でいえば、クラウドファウンディングみたいなものでしょう。
その中の投資者の一人として川原社長も度々出演しました。
そして別の投資者に南原社長という方もいました。
とある放送回で、川原社長と南原社長が同席した事がありました。
そして起業したい方がプレゼンを行ったのですが、そのプレゼン内容に対して南原社長は納得しなかったのでしょう。
南原社長が
「それでは普通のラーメン屋と変わらない。云々…」
と言ったのです。
これはおそらく口が滑ったのでしょう。
同席した川原社長がラーメン屋というのが頭になかったのでしょう。
その発言をうけ、川原社長が顔を右に向け、南原社長の方を決して好意的では無い目で見たのが印象に残っています。