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宮崎謙介の女性遍歴一覧を見るに婿入りまでする上昇志向の強さがアダとなったのか

宮沢磨由さんとの不倫発覚後に数々の女性遍歴が露呈し、自民党、いや国会のチャラ男の名を欲しいままにした宮崎謙介(みやざきけんすけ)元衆議院議員。

「元」衆議院議員と書いたのは、自民党に自ら離党届を出したので現在は議員という立場ではないからです。
さすがの宮崎謙介氏も、これは離党せざるをえないと思っての離党なのでしょう。

しかし議員という忙しい立場でありながら、次から次へと出てくる過去の女性達との並列同時進行なお付き合いには驚かされます。
よく体が持つなと関心してしまいます。

そんな肉食系チャラ男の宮崎謙介氏の華麗なる女性遍歴一覧をまとめてみました。

とくダネで紹介放送された女性遍歴一覧画像を真似て表にしてみた

2月19日に「とくダネ」で、宮崎氏の女性遍歴一覧表が紹介されました。
まずはその画像を真似して表にしてみました。

西暦 加藤鮎子議員 Aさん(30代) 金子恵美議員 ナンパ・不倫
2006 結婚      
2009 離婚      
2011   出会い    
2012   10月
和歌山1泊旅行
11月
交際スタート
12月
初当選
12月
議員会館でナンパ
2013     2月
交際スタート
 
2014 12月
初当選
  12月
当選2回目
 
2015   2月
別れ
5月
結婚
 
2016     2月
長男誕生
1月
宮沢磨由と不倫

おおまかな女性遍歴がご確認いただけると思います。

政治家になるために婿入り政略結婚をする

先ずは簡単な経歴を

  • 1981年1月17日:東京都生まれの現在35歳
  • 2003年:早稲田大学を卒業し、日本生命に入社
  • 2004年:人材派遣会社のインテリジェンスへ転職
  • 2005年:ITベンチャーのドリコムへ転職
  • 2007年:株式会社ネオトラディションを立ち上げる

宮崎謙介氏は、2006年のIT企業社員だった時に、後に衆議院議員となる加藤鮎子女史と結婚します。
そしてこの加藤鮎子氏は、かつて総理大臣候補とも言われた政治家 加藤紘一氏の3女です。
鮎子さんの方が1学年年上ですし、若い婿が来てくれてさぞや喜んだことでしょう。

でもこの結婚には野心が隠されていました。
政治家になるという野望を持っていた宮崎は、加藤紘一氏が政界引退後に加藤氏が持つ山形の地盤をそのまま引き継ごうと考えていたのです。
そのために婿入りし、姓を加藤に変える事までしたのです。

しかし結婚後、加藤紘一氏が山形の地盤を政治家を目指していた3女の鮎子さんに譲る事が判明すると

「結婚している意味は無くなった」

と知人に話し、浮気をしたのが鮎子さんにバレて激怒されたのを機として、2009年に離婚したのです。
離婚の口実を作るために浮気しまくった可能性もあります。

加藤紘一氏はフライデー記者の方に

アイツは本当に女遊びが酷く、まったく酷い目にあったよ

と漏らしました。

政治家として百戦錬磨。
酸いも甘いもかみ分けた加藤紘一氏がそこまで言うのですから、相当酷かったのでしょう。

30代女性Aさん

このAさんは宮崎氏のために仕事を退職までしましたが、結局破局となりました。

あまりにディープな内容なので、後日別ページで紹介します。

自民党議員当選後はナンパしまくり

2012年に自民党の公募に応じた宮崎は、京都3区から出馬し見事当選。
念願の政治家となる事ができたのです。

しかし当選直後にナンパをするという快挙にでます。
ナンパされた事がある野党議員秘書の方は語ります。

たまたまエレベーターで2人きりになったのですが、いきなり
「僕の事知ってる?よかったらメールして」
と、初対面なのに妙になれなれしい態度で名詞を渡されました。

自民党議員秘書の子に話したら
「宮崎先生は、ウチの党の秘書や会館の受付の子にも同じ事をやっている」

との事です。
当選した直後にここまでするとは何て強心臓なのでしょうか。

自民党のベテラン職員はこう語ります。

自民党の女性職員たちとは、何度か合コンを開いていた。
職員の中には宮崎の外見にひかれて誘いに乗ってしまい、いつか玉の輿になれるのではと夢見るものもいた

まあ、まだ30過ぎの若いイケメン議員に言い寄られれば、女性が堕ちてしまうのも無理はありませんよね。

金子恵美への露骨なアタック

後に結婚して子供をもうける金子恵美議員は、宮崎と同期当選でした。

その金子恵美女史に目を付けた時のアタックも凄かったのです。

自民党本部で行われた会合が終わった時には雨が降っていて、宮崎も金子も傘を持っていなかった。
宮崎が突然大通りへダッシュしタクシーを拾い、金子を載せて議員会館へと向かった。

悲しいのは金子と一緒にいた別の女性議員はそのタクシーには同乗させてもらえなかった。
その女性議員は決して容姿端麗というわけではなかったのが理由でしょう。
彼女はしょうがなく雨に濡れながら歩いて帰ってのです。

結果、議員当選直後ともいえる2013年2月より交際開始となり、結婚・出産となったのです。

着付師・宮沢磨由との出会い

金子議員が出産を控えていた2016年1月4日に、夫婦揃って登院した時の宮崎氏の着付師が宮沢磨由だったのです。

着付師としてはまだ見習いで緊張していた宮沢磨由に
「よろしく」
と声をかけ、自然な感じで手に触れながらコミュニケーションをとったのです。

よりによって夫婦揃っての行動時にナンパ行為をするとは。

宮沢磨由は帰宅後すぐFacebookで宮崎にお礼を送りました。
脈ありと判断したのでしょう、宮崎氏の猛烈な緩急織り交ぜた口説きが始まり、たちまち宮沢磨由はおちたのでした。

とまあ、これだけの女性と同時進行でお付き合いをしていたのです。
そしてその財源が血税だったとはあきれるばかりです。

全国的に悪名がとどろき、離党にまで追い込まれたのは、Aさんの人生を狂わせた天罰といえましょう。

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