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市川由紀乃が結婚せず紅白出場した凄まじき人生【爆報!THEフライデー】

「心かさねて」で2016年に紅白歌合戦初出場を果たし、透き通った歌声と美貌で人気を博した美人演歌歌手・市川由紀乃(いちかわゆきの)さん。
翌年2017年にも2年連続紅白歌合戦出場をしました。

1976年生まれなので年齢はまだ42歳とお若いのですが、とてもその世代とは思えないような極貧生活を送り、今は亡き兄の世話に加えて高校も中退したという苦労人です。

その凄まじき人生が、2018年1月19日の「爆報!THEフライデー」で放送されましたので紹介します。

これだけかわいらしいお顔をしながら、まだ結婚もせず独身というのには、それなりの理由があったのでした。

市川由紀乃プロフィール

  • 生年月日:1976年1月8日
  • 出身:埼玉県さいたま市
  • 中学1年だった1989年に両親が離婚しシングルマザーの下で、脳性麻痺障害を持つ7歳年上の兄と一緒に過ごす。
  • 17歳の1993年8月21日に「おんなの祭り」でデビュー

障がいを持った兄と両親の離婚で極貧生活

市川由紀乃の母親・栄子さんは25歳だった1969年に結婚し、一男一女の子宝に恵まれます。
長男は7歳年上の浩司さん。
長女として生まれたのが市川由紀乃(本名:松村真利)です。

市川が中学1年だった1989年に両親は離婚し、母・栄子さんは週に6日不動産事務で働きながら2人の子供を育てるシングルマザーとなります。

市川の兄は7歳年上なので離婚時点で成人しているので「1人の子供を育てなければならなくなる」の間違いかと思ってしまいますが、そうではありません。
兄・浩司さんは脳性まひをわずらっていました。

脳性まひとは脳の損傷が原因で起きる運動機能障害で、浩司さんの体は左半身麻痺状態、成人していても学習能力は小学生レベルのままで、日常会話もおぼつかない状態でした。

母親は忙しいこともあり兄の世話は市川の役目で、兄の外出時は迷子にならないようにいつも付き添っていました。
兄は急に「わっ」と大声を出す事もあり、周りの人達はびっくりし、その兄の行動が恥ずかしくなる事もあったといいます。

母・栄子さんも障害がある兄の事が最優先で市川の事は二の次で、テニス部に所属していた市川はラケットもユニフォームも買ってもらえず、先輩に借りて部活動をしていたのです。

市川は「大変だと分かっていたので、買ってとは言えなかった」と語りました。

家族の食事はスーパーの特売で買いだめしたうどんを素うどんで食べ、栄子さんがいくら働いても生活は楽にならず、いつしか疲労がたまって栄子さんは慢性的な体調不良に悩まされるようになりました。

手元にあるのは、数日しのげるかどうかという微々たる貯金のみ。

地元のカラオケ大会に出場し優勝し、1993年歌手デビュー

そんな時、母・栄子さんは市川由紀乃を地元のカラオケ大会へと連れ出します。
市川本人は出場したくなかったのですが、栄子さんが参加賞の食材目当てで応募したのです。

市川は幼い頃から歌がうまく、栄子さんはそれに期待しました。
すると見事に優勝し、参加賞どころか大量のお米を得たのです。

これをきっかけにカラオケ大会があると聞けば、嫌がる娘を出場させ、食べ物だけでなく生活必需品も賄うようになりました。

そんなある日、市川の人生を変える出来事が発生しました。

カラオケ大会での市川の歌声を偶然聴いていた芸能事務所の社長が直々にスカウトし、17歳で演歌歌手デビューとなりました。

高校中退から引退、復帰まで

歌手デビューが決まったことを喜ぶ母の前では市川由紀乃は薬剤師になるという夢を言い出せず、高校を中退します。

この時仕事が無かった栄子さんを養っていくことを、若干17歳で決断したのです。

デビュー直後は17歳という若さゆえの物珍しさもあって話題になり、新人賞を受賞しましたが、その後はヒット曲を出せずに全国をドサ回りしてCDを手売りするも、誰も認めてくれる人はいませんでした。

そしていつしか自分を頼りにしてくれる母親との間で言い争いが絶えなくなり、ついに決定的な確執が生まれます。

「もっと笑顔になれないの?」との母の問いに
「笑顔ってどうすればできるの?こんな家でどうやって笑顔なんか出るのよ」と声を荒げたのです。

体力的にも精神的にも追い詰められ、デビューから9年後の2002年4月には芸能界を一度引退したものの、家族を支えるという呪縛からは決して解放される事はない市川でした。

「恋したかったですね。でも言えなくて。」
と、恋も結婚もしたかったであろう心境を、番組内のVTRで市川は語りました。

市川は恋愛を封印し家族を養うためだけに、アルバイトに明け暮れます。

しかしある日、兄浩司さんから「次いつ歌だすの?」との質問がありました。
兄には歌手を辞めたことを伝えていなかったので「来月出すことになったよ。」と思わず嘘を付いてしまいました。

すると「本当に?バンザイ」と、歌手としての市川を誰よりも応援していた兄は大喜びします。
兄のためにも、2006年にもう一度演歌歌手へと復帰しました。

襲う悲劇

演歌歌手に復帰した市川由紀乃に悲劇が訪れます。
営業活動で名古屋を訪れていた2008年に母から電話があり、兄・浩司さんが敗血症(はいけつしょう)を発症して容態が急変し、39歳の若さで亡くなったのです。

そしてお金が無くて墓も建てられず、母栄子さんは行き場の無い遺骨を家で抱えて泣き続ける日々を送らざるをえませんでした。

歌手としての自分を一番応援してくれていた兄が亡くなった事により、市川自身も何を目標に歌ったらいいのかという気持ちになり、今度こそ歌手を完全に辞めようかと思ったのです。

兄からの手紙

そんな中、市川由紀乃は家の中である物を見つけます。
それは生前の兄からもらった手紙です。

ゆきのちゃんかようコンサート
いっぱい声が出るように
おいのりします。
えがおもわすれないでね。
ぼくがまりちゃんを
ぜったいまもります。
H20 1/29 松村浩司

改行も含めて原文です。
「かよう」は歌謡の事だと思われます。
「まり」は市川の本名です。

妹に歌手であって欲しいという兄の思いに対し、市川は2つの目標を立てます。

一つは紅白歌合戦出場
もう一つは兄のお墓を建てる事

服も買わず貯金して墓を建てる

とはいえ近年都市部を中心に墓不足が深刻な問題となっている現状では、埼玉県でお墓を建てるのは容易ではありません。
市営墓地や公営墓地といった安価や墓地では、抽選の当選率が15分の1という狭き門です。

民営の霊園で探すも「最低でも300万円かかる」と、とても手が出せる金額ではありません。

それでも大好きな兄に安らかに眠ってほしいと、食費をギリギリまで切り詰め、年間200件以上も全国をドサ回りし、コツコツと手が届く墓地を探します。

そして兄の死から1年3ヶ月が経った時、ついに必至で貯めた150万円でお墓を購入することができました。

運気が向上し、紅白歌合戦出場決定

兄のお墓を建てた後は良い事が起き始めます。

2014年には第56回日本レコード大賞・日本作曲家協会奨励賞を受賞。

2015年には「命咲かせて」がオリコン演歌・歌謡曲チャートで初登場1位を記録。

さらに2016年には市川由紀乃の人生が大きく変わることになります。
紅白歌合戦出場者が掲載されたホームページを見ていた所属事務所の方から
「紅白歌合戦出場が決まったよ」
と言われたのです。

NHKから連絡があったのではなく、このように一般の人と同じような経緯で知る事となったのでした。

苦節23年40歳にしてついに紅白歌合戦に出場し「心かさねて」を熱唱する市川の胸には、兄からの例の手紙が入っていました。
兄と一緒に紅白の舞台に立ったのです。

母栄子さんの自責の念を晴らす一通のメール

娘の大躍進に本当なら大喜びするはずの母・栄子さんですが「歌手になってよかったのかな。」と、胸中は複雑でした。

市川由紀乃は家族の生活のために高校を中退、長男の介護で恋愛も封印し40歳を越えても結婚せずに独身。
娘の人生はこれでよかったのかと、栄子さんの人生には常に自責の念がありました。

そんな栄子さんは娘にどうしてもその事を伝えたく、久々に娘と一緒に外食をし

真利ちゃんが生まれてきてくれてママは生きてこられた。
人には言えない苦労をさせました。
本当にごめんなさい。

と頭を下げたのです。

その思いをただ静かに聞いていた市川ですが、その答えは意外な形で出すことになります。

2017年12月31日に2年連続紅白歌合戦出場を果たした市川の晴れ舞台を、栄子さんはテレビの前で心待ちにしていました。

出演直前といタイミングで、栄子さんの携帯電話に一通のメールが入ります。
差出人は、本番を直前に控えた市川からです。

あと少しで本番です。
今年も大晦日に歌える喜びを噛みしめ、感謝の気持ちでステージに立ってまいります!
私は、歌手になれて本当に良かった。
栄子ママ♪ありがとう!

そのメールに栄子さんの言葉から大粒の涙が流れるのでした。

家族のために人生の大半を費やしてきた娘に対し、栄子さんんは常に罪悪感を感じてきたのですが、この市川からの一通のメールによってその後悔から救ってくれたのです。

説得力のある根拠

そしてこの日の2017年「第68回NHK紅白歌合戦」で市川由紀乃が熱唱したのは、美空ひばりの名曲「人生一路」です。

泣くな迷うな 苦しみ抜いて

という歌詞のこの歌は、市川が子供の頃、母栄子さんが辛い時に口ずさんでいた歌で、まさに2人の人生を映し出した曲です。

演歌の歌詞と、それを歌う演歌歌手の生活レベルにギャップがありすぎて、説得力が無いというパターンは多々あるものです。

それに対し市川が歌うこの歌に異様な説得力があったのは、ここまでの人生背景があったに他ならないでしょう。

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