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春野恵子 丸刈り決意と福山雅治の言葉ではい上がった。福山にタメ口聞かれるという事は年齢は…

かつて「進ぬ!電波少年」の「電波少年的東大一直線」という企画で坂本ちゃんの「家庭教師・ケイコ先生」として人気を博した春野恵子(はるのけいこ)さん。

「東大一直線」というネーミングゆえに、坂本ちゃんが東京大学を狙う企画というのは明らかです。
そんな企画において家庭教師を担う春野恵子さんも、当然優秀な学歴をお持ちでなくては務まらないでしょう。

でもそれについては大丈夫。
何せ春野恵子さんも東京大学を卒業している超優秀な女性です。

そんな春野恵子さんですが、電波少年終了後は「救命病棟24時」に出演されるなど役者としてご活躍でした。

その後は紆余曲折あったでしょうが、現在は大阪で浪曲師として活躍しています。
浪曲師というのは簡単になれる職業ではないと思います。

でもその浪曲師で成功したのは丸刈りにする決意と、あの福山雅治さんのお言葉があったからです。

東京・東大出身の春野恵子が大阪で浪曲師となるまで

春野恵子は東京都文京区出身で、東京大学を1996年春に卒業します。
この卒業年月というのは、後述する年齢からの推測です。

卒業後は出版社に勤めるのですが、役者を目指して退社します。

そして冒頭で述べた様に、電波少年の企画「東大一直線」で2000年~2001年の間の8ヶ月間、東京は四谷のとある部屋で坂本ちゃんの家庭教師ケイコ先生としてテレビで活躍します。

その後は美貌をいかして役者としても活躍しますが、浪曲の舞台に出会った時に
「これこそが私が一生を賭けていくものだ!」
と確信したのです。

浪曲というのは、ひとりミュージカル・ひとり時代劇の様なものでして、それが春野さんの性格にぴったりとマッチしたのでしょう。

思い立ったら行動に出さずにいられない性格の春野さん。
それはそれまでの人生の経歴でもよく分かります。

2003年、上方の女流第一人者の二代目春野百合子さんに弟子入りするため、国立文楽劇場の楽屋におしかけます。
この時、おそらく29歳か、30歳になっていたでしょう。

春野百合子さんには
「あきらめなさい」
と断られます。

これで引き下がる恵子さんではありません。
「浪曲がなければ、私の人生はないんです!」
と食い下がり、やっと弟子入りを認められます。

そして半年後には、頭をバリカンで3mmの長さの丸刈りにして大阪に移り住み、浪曲師としての人生をスタートさせたのです。

福山雅治の言葉が支えに

電波少年の東大一直線の企画中、あの福山雅治がラジオで
「ケイコ先生のファン」
と発言していました。

そして東大一直線の企画が終了した数ヶ月後には、福山雅治直々にラジオへの出演オファーがあり、出演となったのです。

そしてその後は再会する機会はなかったのですが、浪曲師として東京と大阪を行ったり来たりしていた2008年に、新幹線に乗るために品川駅にいたところを
「久しぶり」
と声をかけてきたのが福山雅治です。

その再会後、福山に対して
「浪曲というあまり人がやらないマイナーな世界…云々」
といったメールを送信しました。

そしたら福山からこんな返信が

では、あなたが浪曲をメジャーにしてくださいね

この言葉はこれ以上ない励ましの言葉で、頭をガツンと殴られた思いだったそうです。
これが転機となったのは間違いないでしょう。

春野恵子の年齢・生年月日・結婚は

7月22日生まれというのだけは公表されている春野恵子さんの誕生日。
生まれた年や年齢は非公開です。

ですが、情報では1973年生まれというのが判明しています。

そして気になる結婚と子供の有無に関しては
春野恵子に子供がいなくて結婚していのはブログでの発言から明らかだと思われる
を是非ご覧くださいませ。

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