超一流芸能人がマスコミ本社を襲撃するというショッキングな事件、それがあのフライデー襲撃事件です。
ビートたけし率いるたけし軍団のそうそうたる面子とボスのたけし自らが講談社のフライデー編集部を襲撃し、多くの逮捕者が出た事件となりました。
しかし意外と知られていないのですが、ラッシャー板前・井出らっきょ・つまみ枝豆という3名の主力メンバーは、フライデーへの殴りこみ時に居なかったのです。
そして居なかった理由が、2017年2月17日放送の「じっくり聞いタロウ ~スター近況(秘)報告」に出演したつまみ枝豆本人から語られました。
ラッシャーと井出に関しては正当な不在理由があったのですが、つまみ枝豆に関してはビートたけしが呼ばなかったのです。
つまみ枝豆だけ何故呼ばなかったのか?
「フライデー事件」「ビートたけし事件」「たけし襲撃事件」等とも呼ばれるこの事件の真相が、30年の時を越えて判明しました。
つまみ枝豆が不参加だった理由
番組でフライデー襲撃事件の話題になり「枝豆さんは行かれたわけですか?」と質問されると
行ってないんだよね
と、自分が不参加だった事に対して申し訳なさそうにはにかんだ笑顔で答えました。続けて
井出らっきょはその時彼女の家に行っており、当時は携帯電話がなかったので連絡が付かなかった。
ラッシャー板前は痔のため、赤坂の病院に入院中だった。
俺は在宅だったんだけど、連絡が来なかった。
と語ると、つまみ枝豆にだけ電話連絡が来なかったのはなぜ?という空気がスタジオに漂いました。
(自分は)たけしさんしか見えない人間だったので、何かあった時には
「体張ろう」「死んでもいいや」
と思ってた。そんな気持ちをたけしさんが分かってたのかどうか知らないけど
「僕(枝豆)には連絡するな」という通達が軍団にあって、連絡が来なかった。
と、驚きの理由が語られました。
当時の枝豆は、崇拝するたけしのためなら何をしでかすか分からないところがあったようで、そこを危惧したのかどうかは分からないのですが、枝豆には連絡するなと軍団メンバーに言っていたのです。
記者会見場へ乗り込もうとしていたつまみ枝豆
このフライデー襲撃事件があったのは、1986年12月9月の午前3時過ぎの事でした。
そしてその日に、井出らっきょからつまみ枝豆に
「大変だよ。殿(との)が捕まった。逮捕された」
と電話がありました。
「何言ってるんだよ、馬鹿」といいながらテレビをつけると「たけし逮捕」というニュースが流れていました。
どうしよう、どうしよう。
不義理をしたとしか思わないし、連絡が無かったのは何でだろうかとも思うし。
どういう話し合いがあってみんな集まったのかも分からなくて。
と、ボスが逮捕された事件に不参加だった事に対して「不義理」と感じたのです。
「とりあえずこの記者会見場に行こう」とらっきょと話しました。
警察に行ったって皆と会えないから、この記者会見場へ行って何とかしなきゃいけないという、全くのノープランなわけよ。
当時のテレビ放送では、被害にあった方々が記者会見で対応していたのですが、つまみ枝豆は
「後からでもコイツらやっつけようかと思う」というような気持ちもあった。
と、全くのノープランで記者会見場に乗り込もうとしていたのです。
拘留中のたけしから電話が鳴る
このようにいても立ってもいられず、まさに記者会見場か出版社に乗り込もうとしてい時に、運命を揺るがす出来事が起こりました。
突然つまみ枝豆の家の電話が鳴り、またらっきょからかなと思いつつ出ると
「もしもし、俺だよ」と言ってきたので
「誰だよ」と答えると、相手は何とビートたけしだったのです。
殿が拘留先の大塚署から「1本だけ電話を入れさせてくれ」と俺のところに電話をかけてきた。
土下座しながら「申し訳ございません」と謝ったら
「枝豆悪い、お前らの事は俺が一生面倒を見るから勘弁してくれ。だから今は動かないでくれ」
という電話をよこしてきた。
と、このように枝豆のヤバさを知っていたであろうたけしが、とんでもない事をする前に釘をさしたのでしょう。
当時は携帯がなかったので、ちょっとでもタイミングがずれていたら連絡が取れず、記者会見場に行ってとんでもない事になってたかもしれない。
そうすると僕ももちろん駄目だったけど、たけしさんもダメになってしまう可能性もあった。
ヤンキーだったつまみ枝豆
以上が「じっくり聞いタロウ ~スター近況(秘)報告」でつまみ枝豆本人から語られた事件の真相です。
つまみ枝豆さんは可愛らしい笑顔をしているのですが、若い頃はヤンキーでした。
そしてキレたら何をしでかすか分からないという怖さがあったので、それを危惧したビートたけしが真っ先に連絡をとったのでしょう。
逮捕された人間がそのような連絡をするとは、普通では考えられないヤバさです。
携帯電話がなかった時代ゆえ、連絡が取れたのは本当にたまたまです。
本人がおっしゃるように、ほんの少しタイミングがずれていたら、今のビートたけしは存在しないかもしれないし、世界の映画監督「北野武」も生まれなかったかもしれません。
あれからもう30年以上も経ったのですが、今も鮮明に記憶に覚えているフライデー襲撃事件。
知らない世代も多くなってきたでしょうが、真相を少しでもアーカイブしようと思いペンをとったしだいです。