エンタメ

市川海老蔵の素晴らしき記者会見全文「最後の言葉は愛している」

「最後の言葉は愛している」
海老蔵さんへの素敵な言葉が、34歳という若さで亡くなった小林麻央(こばやしまお)さんの最後の言葉だったのです。

6月22日夜に小林麻央さんが亡くなったことを受け、翌6月23日の14時30分頃から市川海老蔵が渋谷の「シアターコクーン」にて記者会見を行いました。

なぜシアターコクーンかというと、この日海老蔵さんは「ABKAI2017~石川五右衛門 外伝~」という公演を同劇場にて正午から及び17時からと2回行っており、その合間をぬって記者会見を行ったのです。

黒のスーツに黒ネクタイといういでたちで現れ、記者からの全ての質問に対し明確に真摯に答えてくれたその姿は見事でして、20分近くの記者会見全文を紹介いたします。

市川海老蔵の記者会見全文

わざわざご報告するような事ではないかもしれませんけど、今朝家の前に多くのマスコミの方がいらっしゃいまして、ご報告する事も一つの義務なのかなと思います。
昨日夜に妻麻央が旅立ちました。
それについて色々とございます。

(麻央が亡くなった事が)思ったより皆様に伝わったのが早かったという事で、急遽このように皆様にお時間を作っていただいたのも、多くの方にご迷惑がかからないようにするためと、ブログやましてやアナウンサー時代から妻のことを応援してくださった方々へのご報告ということで、このような時間をもうけさせていただきました。

本日はどうぞよろしくお願いいたします(一礼する)


麻央さんとは最後、どんな言葉をかわされたのでしょうか。


私は昨日も舞台でございまして、それまで麻耶さんと、麻央のお母さんとでずっと看病をしてました。
私は昨日舞台が終わった後、ここ(シアターコクーン)で別の撮影がございまして、その後にロビーでまた別の稽古がございました。

その時にお義母様からLINEが来てたんですけど、僕は(稽古のため)見る事ができませんでした。
約1時間半ほど遅れて見た内容が
「(麻央の)具合が悪くてお医者様も来ていて、ちょっと家族を呼んだ方がいい」
という内容でして、私も慌てて家に帰ったわけです。

帰りましたら麻央はまだこの世にいてくれて、たまたまなんですけど私が妻の前に座って、呼吸が苦しそうだったので大丈夫かなと。
(麻央は)おとついまでは喋れたんですけど、昨日はずっと喋れずにいたので。

本当に不思議な話なんですけど息を引き取る瞬間(麻央が)
「愛している」
と、その一言を言って、そのまま旅立ちました。
(「愛している」と言った瞬間、海老蔵の目から涙が流れ出す)

「る」は聞こえたか聞こえないかちょっと分からないんですけど。

愛されていたのはよく分かっていたんですけど、最期の最期まで愛してくれいたんだと。
(海老蔵の涙止まらず)
何とも言えませんね。

昨日の今日で何も用意できてませんで、このような所でお見苦しいところをご覧に入れて申し訳ありません。


最後、ご自宅で送ってあげる事ができてよかったのでは。


それはとてもよかったと思います。
お義母様もお義父様も私もお義兄様も麻耶さんも、そして子供達もずっとそばにいれたんで凄く良かったなと。

私は父(市川團十郎)は病院で亡くしているんで、家族と共に一緒にいられた時間というのは、かけがえないのない時間を過ごせたと思います。


お子様も含めてご家族の皆さんで送ることができたと


そうですね、子供達も見てました。


闘病の辛い中でも笑顔を欠かさなかったそんな麻央さんの生き方を海老蔵さんはどんな言葉で…


おっしゃるとおり、本当に笑顔と勇気と愛情、そして決してブレない自分、そしてどんな状況でも相手のことを思いやる気持ち、まあ愛ですよね。
そういった力が最後までブレずに、おとついまで笑顔で話してました。
昨日は調子が悪くて、我々家族も急にそのようになってしまったので、とまどった部分が凄く大きかったです。


海老蔵さんからはどのような言葉を麻央さんにかけられました?


この世にあるありとあらゆる言葉を耳元で話していました。


海老蔵さんにとって、麻央さんはどんな存在でした?


 (20秒程考え)
とにかく私をどこまでも愛してくれてたんだなと。
できればずっと一緒にいて、私の方が先に逝って彼女にはもっと幸せに、家族や子供達や麻耶さんやお義母さんやお義父さんと一緒に。

そして私が役者として成長していく姿をずっと見守ってもらいたかった存在です。


麗禾(れいか)ちゃんと勸玄(かんげん)くんのご様子などは?


麗禾は昨日はずっと麻央のそばを離れませんでした。
そして彼女の横で寝るといって寝ていました。
(妻の事は)認識していると思いますね。

今日の朝も麻央が横になっているところに2人が顔をさわったり足をさすったり手を握ったり、そういうところを見ると私が今後背負っていくもの、やらなくてはならないこと、子供達に対してとても大きなものがあると痛感しました。

勸玄は(麻央のことを)分かっているけど、まだ分かっていない部分もあると思います。


奥様から学んだことをどうやってこれから伝えていきたいと思いますか


(麻央は)元気になったら、自分が歩んできた乳がんやそれに伴う病に対して、こうしたい、ああしたい、多くの人の救いになれる存在になりたいということで、一生懸命闘病していました。

それでブログというものも始めたんですよ。
本当にマスコミさんのおかげで、公になってありがたかったと思いますよ。

ブログというものを始めて、同じ病の人達や苦しんでる方々と悲しみや喜びを分かち合う妻の姿は、私からすると「人ではない」というか、凄い人だなと。

とにかく総合的に教わったこと、そしてまだ今後も教わり続けることは「愛」なんだと思いますよ。


麻央さんの表情でどういうものが思い浮かびますか


全部ですね。
初めて会った時の彼女から今日の朝まで全部です。


麻央さんの、子供さんへの思いもお聞かせいただければ


 心残りだと思いますよ。
「どうすればいいんだろう」と考えても答えが出なかったと思います。

今回も子供達が出演したり、7月にはせがれが出演するんですけど、そういったものを見に来ることを一つの目標としてたんですけど、まだ(天国で)見ていると思います。
まだまだ心配で心配でしょうがないんじゃないでしょうか。


海老蔵さんが託されたものみたいなものはありますか


多すぎて言葉に出せないですね。
この後(17時から)舞台ありますし、来月もありますし、子供の稽古もありますし、麗禾の成長の事も考えますし、まだ5歳と4歳ですからこれからお母さんというのが非常に重要な存在でしょう。

僕が代わりにはなれないですけど、出来る限りの事をやっていくように思っています。


麻央さんがよく言っていた言葉で、今思い出されるものはありますか。


麻耶さんが調子悪くなった時とか私が舞台で非常に疲れた時、そしてお義母様が看病で疲れている時、彼女自身がもっと思い病にかかっているのに自分よりも相手の事を心配する優しさ。
言葉とかではなくて、どこまでも自分よりも相手の事を思いやる気持ちです。


麻央さんと出会って結婚して家庭を作って、改めて麻央さんはどんな奥さんでしたか。


よく分からないのですが、僕を変えた奥さんなんじゃないですか。


麻央さんが「プロポーズの時に『来世も一緒』と言ってくれた」というのが一番嬉しかったとおっしゃっていましたけど


そのつもりです。
ですが僕が愛想つかされないように頑張らないといけないので。

麻央のブログや麻央の存在に励まされた方々がいらっしゃるという事で、今回のこのような(記者会見)をとらせていただいたと思います。
実際そのようなことが無ければ、このようなことをご報告すること自体が、形としてはどうかなと思います。

ですがそういう多くの麻央の事を応援してくださった方々、そして麻央と共に闘っている方々、昨日先に旅立ちましてけれどずっと麻央は皆様のそばにいると思いますので、本当にありがとうございました。
(一礼して記者会見場を去る)

最後までキャスターだった小林麻央

さすが市川海老蔵は時の歌舞伎役者です。
本人も記者会見でおっしゃっているように、本来はこのような時に会見はすべきではないのでしょうけど、近隣の方への迷惑や、小林麻央さんのブログ「KOKORO」で励まされた方のために、公演の途中だけど報告したのです。

海老蔵は会見直前の14時29分にブログを更新し

私が言いたいことは特に御座いません。
しかし多くの方が麻央の事を応援してくださったので、お伝えするのも義務なのかなと

昨日、天国へ向かって旅立ったという事だけです。

が、質問もあると思いますので、頑張ってこたえられることは応えさせていただきたいと思います。

とつづりました。

麻央さんは、おそらく皆と一緒に最後までという思いで最後は在宅医療に切り替えたのだと思います。

そして「家族を呼んだほうがいい」というLINEを1時間半も見る事ができなかったのに、最後に間に合い「愛している」の言葉を聞くことができた。

小林麻央は出来る限りのことは全て行い、まさに最後まで見事なキャスターだったのです。

[my_include file=’_kobayashi_mao’]

PAGE TOP