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BOOWY解散の理由を高橋まことがあっけらかんと暴露してしまうあたり何といい人だろう

伝説のロックバンド「BOOWY(ボウイ)」
ボーカルだった氷室京介やギタリストだった布袋寅泰が今やカリスマ的な存在になっている事からも、その偉大さがうかがえるというものです。

BOOOWYが突如解散宣言したのは1987年12月でした。
人気絶頂期にその様な発表があったとは、当時のファンにはまさに晴天の霹靂だった事でしょう。

そんなBOOWY解散の理由については諸説流れています。
一般的には、前述のカリスマ2人の不仲という理由が考えられるでしょう。

2006年2月に発売された布袋寅泰さんの著書「秘密」において、BOOWY解散の理由について

確かに、解散を最初に言い出したのは俺だった。
(中略)
しかし、結成以来、揺れに揺れ続けてきたバンドを崩壊に至らないよう手を尽くしてきたのも俺である。
(中略)
最後の最後で、俺がワルの役を買って出ただけの話だ。

俺には俺の、”絶対解散せねばならない理由”があった。
しかし、その理由は墓まで持っていくつもりだ。

と力強く述べています。
私を含めそれを読んだ方は、相当ディープな原因があるのだと思った事でしょう。

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ところがドラマーだった高橋まことさんが、そのわずか1年後の2007年4月に発売した著書「スネア」において、あっけらかんとBOOWYの解散理由を語ったのです。

氷室京介「来月解散しよう」

布袋寅泰は1986年1月に、あのシンガーソングライターの山下久美子さんと結婚しました。
BOOWYが一般的に有名になったのは同年9月に発売されたシングル「B・BLUE」だったので、それより随分前から交際されていた事になります。

布袋寅泰は結婚後は、妻である山下久美子のバックバンドとしての活動も平行して行っていました。
そしてそこにベースの松井恒松さんも参加し、さらにドラムの高橋まことさんも誘われたのです。

そうなるとボーカルの氷室京介以外のメンバー全員がバックバンドとして参加する事となります。
それはまずいと思った高橋まことがその事を氷室京介に告げたのでした。

その事実を聞かされた氷室京介が
「来月解散しよう」
と言ったのが、解散理由です。

これが高橋まことが「スネア」で語ったBOOWY解散の理由だったのです。

布袋寅泰が著書「秘密」において解散理由のハードルを上げた後なので、なんとも肩透かしを食らった様な理由です。
ただ、元メンバーがここまで明確に解散理由を述べたという事で、かなり信憑性の高い理由と言えましょう。

その他の解散理由

様々な解散理由が当人達の口から語られたり、考察されたりしています。

  • 布袋寅泰が自身の海外活動を強く希望した。
  • 売れる前に決めていた「トップに立ったら解散する」とう事を体現した。
  • 売れた事により楽しみというより商業的になり、自分達の方向性と違う方向へ軌道が向かってしまった。
  • アイドルバンドとしての扱いを受け始め、違和感を感じる様になった。

等々、枚挙に暇がありません。

氷室京介が語ったBOOWY解散理由

数え切れないほど存在する解散理由ですが、氷室京介が語った解散理由の音源を見つけました。

BOOWYの4人で出来る事を全て実現してやりきったというのが結論。
なのでもう辞めるしかない。
辞めないで、そのまま3年4年と続けるのは厳しい。

と、語られたのです。

氷室京介と布袋寅泰の確執や不仲ではない

2大カリスマであった氷室京介と布袋寅泰は、当時ライバルだとメディアで言われていました。
それゆえ確執が発生し、解散になったとの見解をする者も多かったです。
ただ前述の音源で、氷室京介はこう語りました。

雑誌ではライバルという書かれ方をしていたけど、俺は布袋の事を1度もライバルと思った事はない。
それがソロとバンドの違いだと思う。
バンドの中でメンバーをライバルだと思っていたら、バンドの良さって絶対出ないと思う。

俺は布袋を最高のギタリストだと思っていた。

各種週刊誌や雑誌だと適当な事を書くケースもありますが、これは本人の口から語られた事実なので、信憑性の高い情報と言えましょう。

あの誇り高きヒムロックが、音楽に対する信念・ポリシーと違う発言するとはとても思えません。
「本当は布袋と仲が悪いけど、それだと今後の商売が上手くいかないのでそういう事を言うのはやめておこう」
という様な事は有り得ないと思います。

ヒムロックなら仲が悪ければ悪いと言うし、最高なギタリストだと思えば最高と称えるという事です。

布袋寅泰が解散理由を語らない信念

ではなぜ布袋寅泰がボウイの解散理由を墓場まで持っていくかというと

BOOWYはBOOWYのもの。
四人のもの。
俺にはこんな理由がある……などと四分の一の存在が軽々しく語ってはならないと思う。

と「秘密」で語りました。
あくまで自身はボウイの25%でしかない存在だという、思慮深いポリシーがあったのでした。

また「秘密」で述べられているのですが、1983年頃に若干21歳だった布袋寅泰が、決して社交的ではないヒムロックに代わって広報ともいえる役割を担っていたのです。
そのために違うバンドにもギタリストとして参加していたのです。
布袋寅泰はまさに全てをBOOWYに捧げていたのでした。

そのために当時既に有名だった山下久美子のバックバンドにも参加のでしょうし、そういったボウイのための行動が冒頭で述べた
「揺れに揺れ続けてきたバンドを崩壊に至らないよう手を尽くしてきたのも俺である」
という自負ともいえる発言のゆえんだったのかもしれません。

ヒムロックは90年代半ばに「HEY!HEY!HEY!」に初登場(最初で最後だったかも)した記憶があるですが、その時はダウンタウンの2人と社交的に話していました。
BOOWY初期の非社交的な振る舞いは、若さゆえなのかそれともそういうキャラを貫いたのかどちらなのでしょうか。

真の解散理由はメンバーすらも分からない

このように真の解散理由は謎のままです。
いつか4人が一堂に会する時があったとして、その時に全員の口から同じ理由が語られたとしたら、それが真実ということです。
その日がいつか来る事を待ち、それまでは色々と解散理由を考察するのも楽しいものでしょう。

ただ「秘密」において

決して一つの理由などではない。

きっと今、メンバーの四人が集まって
「なぜ解散したのか」という理由を同時にしゃべるという機会があったなら、きっとそれは笑ってしまうほどバラバラなのではないかと思う。

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とも語られました。
結局永遠の謎のままということです。

布袋寅泰の著書「秘密」の解散理由について書かれたページの密度の高さは異様ともいえます。
是非購入されてご自身の目で読まれる事をおすすめします。

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