エンタメ

朝倉美沙が末期の乳がんと闘う現在の姿を師匠島田洋七に伝える

歌手の朝倉美沙(あさくらみさ)さんは高校卒業後からずっと看護師をしていたのですが28歳にして歌手へと転向し、あの島田洋七と奇跡的な出会いがきっかけで映画「佐賀のがばいばあちゃん」のイメージソングでデビューするという、ドラマチックな人生を歩んでいらっしゃいます。

しかしその後乳がんが発見され、2016年現在はステージ4の末期癌という大変厳しい状態ですが、その事を師匠である洋七には伝えていませんでした。

2016年9月30日の「爆報!THEフライデー」で、現在自分が末期ガンである事をとうとう洋七に伝えた感動的な再会の様子が放送されたので紹介したいと思います。

朝倉美沙と島田洋七の運命の出会い

1976年8月12日産まれの朝倉美沙は、祖母の介護をしていた事もあり、高校卒業後は地元の老人病院で看護師として働いていました。

しかし島田洋七著書の「佐賀のがばいばあちゃん」を読み、その中の
「人間は夢をもて!その夢が叶わなくても、しょせん夢だから」
というフレーズに感銘を受け、2004年8月に28歳にして病院を退職して小さい頃からの夢であったプロ歌手を目指し、ゼロから音楽活動を始めたのでした。

しかし現実は甘くなくレコード会社にあてもなく、飛び込みで歌を歌わせてくれる店を探すという、つらいドサ回りを続けたのです。

そんなある日に奇跡の出会いがあったのです。
広島市内の飲み屋で歌っていたところに、偶然洋七が来店したのです。

佐賀のがばいばあちゃんの大ファンだった朝倉は思い切って
「佐賀のがばいばあちゃんの本、本当に感動しました」
と伝えると
「そんな事言われたの初めてや」
と嬉しそうな返事があったのです。

この初めてというのは、決して大袈裟に言ったのではありません。
実はこの時はまだこの本は大ヒットする前で、自費出版の段階だったのです。
当時の島田は芸能界での活躍の場を模索し、この本で一発逆転を狙おうとしていたのです。

がばいばあちゃんのファン1号の朝倉と、初めて喜んでもらえた洋七、これが師匠と弟子との運命の出会いだったのです。

朝倉美沙をプッシュすると島田洋七の運気が上がる

朝倉美沙の歌と姿勢に感動した島田洋七は、朝倉を音楽関係者に紹介し、彼女の夢を応援します。
すると佐賀のがばいばあちゃんの本の売り上げが急増し最終的には1000万部を突破、洋七にも仕事が殺到するようになります。

そんな中、洋七から朝倉へ
「佐賀のがばいばあちゃんの主題歌歌ってみるか」
と提案があり、2009年4月公開の映画「島田洋七の佐賀のがばいばあちゃん」の主題歌で念願のプロデビューを果たしたのでした。

治ったと思った乳がんが転移してステージ4の末期癌

2014年12月、38歳だった朝倉美沙は何気なく乳がんのセルフチェックを行うと、右胸にしこりらしきものを発見しました。
しかし朝倉は女性の5%が該当する「副乳」の持ち主だったので、そのしこりを副乳と思い病院に行かずに放置したのです。
副乳とは脇の下等にできる、本来の乳房とは別の乳房の事です。

しこりが以前より大ききなった事に気付いた2015年2月に病院へ行くと、5~6cmの大きさの乳がんが発見されたのです。
しかし放射線治療等により、その後は癌はみるみる縮小し完治する見込みが出来たので、癌の事を師匠島田洋七に伝えたのです。

しかしそれから7ヶ月が経った2016年4月、乳がんが肺に転移していてステージ4の末期がんという事が検査の結果判明したのです。

朝倉美沙の肺には癌細胞が多数発見され、手術や放射線治療では取り除けない状態となっていたのです。
ゆえに現在は、高濃度ビタミンC点滴療法や温熱療法によって、がんの進行を抑える事しか打つ手が無いのが現状です。

全ての治療にかかる費用は毎月20万円で、結婚しておらず独身の朝倉は看護師時代の貯金を切り崩し、希望を胸にガンと闘っているのです。

末期癌である事を伝えていない

朝倉美沙の心には引っ掛かっているものがあり、多忙な師匠・島田洋七を心配させたくないと気遣い、末期癌になった事を伝えていないのです。
番組スタッフが洋七に
「朝倉が自分の口から伝えたい事があるので病院であってほしい」
とコンタクトを取ると、病院にお見舞いに来てくれました。

その言葉から、洋七もある程度の事は覚悟しているのでしょう。
「明るく喋る。そういう方向ですね、僕の気持ちは」
と、神妙な面持ちで病院へ向かったのです。

ずっと笑うねんで

病室で再会すると島田洋七は
「久しぶり。大丈夫か。てっきり良くなっているとばかり思ってた。」
と明るく喋るも、朝倉に元気がないと察し、場を和ませる冗談を言い笑わせます。

そんな中、なかなか言い出せない朝倉は
「伝えたい事が一杯あって、手紙に書いてきたんで読んでいいですか」
と自分が末期がんという事を手紙で読み上げます。

40歳の若さで末期癌と闘う弟子の厳しい現実を突きつけられた洋七は
「あっちこちで奇跡が起きてるよ。大丈夫だよ。お医者さんの言う事をよく聞いて頑張ろう」
と言葉を振り絞ります。

そして別れの時に洋七は
「ずっと笑っときや。笑うねんで。どんな時でもな。」
と、まさにがばいばあちゃんのコンセプト通りのナイスな言葉をかけて去ったのでした。

そして末期癌にもかかわらず、常に笑顔で絶やさず話す朝倉美沙も、がばいばあちゃんの理念を受け継いだ立派なお弟子さんです。
その信念を貫き通せば、きっと師匠の言葉通り奇跡が起きることでしょう。

PAGE TOP