ラジオパーソナリティーとして活躍する秋山ちえ子さんは1917年(大正6年)生まれという事で、プロフィールは謎に包まれています。
脂が乗った活動をされていたのは昭和の頃でしょうから、残っている情報が少なすぎるのです。
だた、息子さんがいらっしゃる事は判明しています。
確認できているだけでも長男と次男の最低2人はいるのです。
そして長男の進路に関しては、大学に進学させるのだけが幸せではないという事で、本人の希望を尊重しコックの道を歩ませたという経緯があったのです。
長男は秋山匡一さん
長男のお名前は匡一といいます。
おそらく「きょういち」と読むのでしょう。
長男は1961年(昭和36年)に、大学に進学せずにコックの道を選びました。
計算すると、おそらく1942年度生まれなのでしょう。
第二次世界大戦の激動の最中に息子さんを出産されたのです。
長男がコックの道を選んだ理由
秋山匡一さんがコックの道を選んだ理由は、高校時代に家族で日本橋のレストランへ行った時に、コックさんが立ち姿でキビキビと働く姿に感化されたからです。
そして息子さんがコックの道を選択した頃というのは、大学への進学熱が高まってきた時代でした。
終身雇用制度も確立し始め、大学を卒業して企業で働くのが安心な人生と思われ始めた頃でしょう。
しかし長男の意見を尊重し、コックの道へと進む事を後押ししたのです。
息子の事がドラマ化される
1964年1月6日から7月3日までの半年間、13:00 ~ 13:15の時間帯に
「いつか青空」
という昼ドラマが放送されました。
大学進学が絶対の幸福ではないという価値感の元、長男にコックの道を選ばせた母の姿を描いた作品です。
まるで秋山ちえ子さんと匡一さんの事を描いたみたいなドラマです。
それもそのはず、秋山ちえ子さんが原作だからです。
つまりこのドラマはノンフィクションといってよいでしょう。
天声人語に秋山匡一さんの事が掲載される
1988年には、朝日新聞の「天声人語」に匡一さんの事が掲載されました。
秋山匡一は40歳を過ぎた現在は、新宿でシチューの店を開いている。
学生時代の仲間は皆成績が酷く、悪い事をしては先生にぶん殴られたが、日曜日になると先生の自宅へ押しかけていた。
先生は皆が隠れて酒を飲んでいる事を知っていて
「他では飲むなよ」
と約束させた上で、ウイスキーを飲ませてくれた。学校では勉強を敬遠していたが、コックの見習いになってからは猛然と勉強を始めた。
大晦日には母に大きなロースとビーフを贈る事が常となっている。
といった内容でした。
何と古き良き時代な事でしょう。
今は先生による体罰や未成年者への飲酒はご法度ですし、先生の家へ行って遊ぶ事などありえないでしょう。
何より生徒は勉強勉強の毎日です。
今とは真逆といえる時代だったのです。
喪主は次男の秋山宣夫さん
そんな秋山ちえ子さんも、2016年4月6日に99歳で亡くなってしまいました。
喪主は次男の秋山宣夫(あきやまのぶお)さんが務めました。
普通は喪主は長男がするものと思われますが、次男が行ったという事は長男の匡一さんも、もう亡くなってしまっているのではないでしょうか。
前述の様に74年前の1942年度に生まれたと思われるので、逝去されていてもおかしくはないでしょう。
大正、戦争、戦後と激動の時代を生き抜き、息子達を立派に育て上げた偉大なる歴史の生き証人に黙祷したいと思います。